慌てない、欲張らない
タイトルのように農作業も私生活もできてこなかったわたくしですが、(^^;)
最近はそのへんもいくらか改善できてきたような。ま、自己評価ですから採点甘いんですけど。
SNSでも付き合いのある農家の後輩に
「セージさん、最近、暇そうで遊んでばっかなんじゃないですか?」などと
心配(?)してもらえてもいますが、傍目に余裕をもってみえているのなら、
実は狙いどおりb(^^o)
余裕あるふりして、白鳥の足許のように水面下であがいているのがわたしなんですからね。(^w^;;)
でも、楽しそうにみえているならホントに幸せです。
なんか劣等感をあおってしまうのか、妬み(ねたみ)や嫉み(そねみ)から意味なく嫌われることもあるので。
いい人でありたいけど、そんなわけではないし、嫌いな人だって苦手な人だっていますが、
そんな時、むかし妹に言われた言葉が思い出されます。
「兄さんは農家やっているから信用されるんだよね」
(-0-;;)まぁ、それ以外の活動だけじゃ怪しいよなぁ…
農家の内部にいると「農家」がイメージほど善人ではなく、
かといって蔑ろ(ないがしろ)にされている現状に憤りを覚えることも多いんです。
バカでは決してできない仕事だけど、お利口に過ぎても自然に反していき,しっぺ返し食らったりします。
農家のなかにはお金儲けに夢中になって、友達も知り合いも家族さえ離れていったりする人もいて、それが【成功】だとは決して思えない自分ですが、だからって稼ぎの大小に関係なく、日々の生活が農作業だけってのも私はとても耐えられない。
幸い、いまのところ家も食事も着るモノにも困っていないし、
それ以上に趣味の音楽は楽しめているんだし、
子どもも2人授かって、色々ありながらも
家族が大病せずに暮らせているんだからこれを「幸せ」といわずにナンという?
さぁ、それならこれからわたしが生きていくうえでやっていくことはなんでしょう?
答えはずっと前から変わりません。
ここで生きて死んでいくまで農業と好きなことをやっていく。
自分が好きに楽しく生きていることで、微々たるモノでも他の人に良い影響があたえていけるなら
「芸術」を学んだモノとしての務めは果たせているのではないのかなぁ。
まぁ、なんか偉そうなことを語り出したり、小説じゃなく自己啓発本とか書いて儲けようとしたり、
政治的な活動をしはじめたら、気をつけなきゃいけないんで、間違わないようにブログをご覧のみなさま、ご指導ご鞭撻のほどお願いします。(^^;;)
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